「〈志木宣教46周年記念礼拝〉

「主が開いた門」(みことば信仰)  

     KFG志木キリスト教会 主任牧師  久保 真理 牧師


聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くと
 だれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その
 方がこう言われる。「見よ。わたしは、だれも閉じることのでき
 ない門を、あなたの前に開いておいた。


             (黙示録 3章7,8節)




●ルターの宗教改革五百年
この10月31日、ルターが五百年前、ヴィッテンベルク城教会の門扉に「95ヵ条の提題」を張り出した日である。彼がいのちがけで手に入れた もの、それは唯、聖書のみに土台をおく信仰。第2に唯、信仰によって救われること(信仰義認)。第3に神の一方的な恵みによって救われること (唯、恩恵のみ。)。
私たちはその聖書信仰と福音主義の流れを継いでいる。特に46年前、志木での開拓宣教はゼロからと言うより、マイナス状態で始まったが、主は 真実に応答して下さった。

1.試練(気力を失う 〈ネヘミヤ記6章9節)

川崎での自立開拓伝道の後に、約50坪の屋敷を借りての伝道牧会の結果、10年で、50名の教会形成になり、相模原に百坪の土地を与られ、2 階建の会堂(保育室と兼用)を建築し、25名の積極的な人たちが、移住し、新会堂中心の教会生活になった。
私は川崎の地にとどまり、残った20数名の会員とで、牧会伝道に励んだが、古い借家の教会は新しい会堂のために献金したり、内職したり苦労し たのに直接にはそれを味わえないで、気持ちが沈んだ。その上、生木を引き裂く様な出来事が起り、新会堂と借家教会との間にひび割れ状態にな り、群れとしての交わりがなくなり、理想やビジョンをもっていた牧師も地に叩きのめされ、打ち砕かれ、伝道者としての気力を失うほどであっ た。教会も傷つき、病んだが、みことばによって、やっと立たせていただいた。(○参マルコの福音書5章21~34節/Ⅰペテロの手紙第一2章 24節、聖歌617)

2.スクラップ置き場の古材の家

再び開拓伝道を祈って、三年ほど過ぎたある日、一本の電話がある人からあった。そこでその人の案内で、志木のスクラップ置場のそばの古材で 造った家を下見し、主の前で、真剣に祈った。
その時、響いてきたのは冒頭のみことば「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」と、開拓へのり出すべきこ とを示して下さった。
当時のこの地は新河岸ぞいに新しい住宅が建ちつつある場所で、まだ、畠や田が残り、夜は蛙の声がにぎやかで、淋しいくらいであった。それで も、主が「門を、・・・開いておいた。」と言われるので、この建物の所有者F氏と賃貸契約(160坪の庭つきの二階建ての家―1階68.50 ㎡【八畳2間、台所6畳、ふろ場、玄関、廊下】/2階26.49㎡【六畳2間】―計95.05㎡〈床面積〉)を月3万円で、したのであった。 そこで、1971年10月02日(土)、3日(日)と秋の特集をやり、この地の伝道の旗揚げとした。
そして、川崎の街の様に、街角で叫んでもだれも耳を傾けない住宅街では、幼児教育(幼稚園)を通して地域に聖書の教えを浸透させたいと、ビ ジョンをもって、シャローム幼児学園を始めた(当時、志木の平均年齢は27才)。一九七二年四月には20名の園児でスタートしたのに、二年目 には52名の園児を保育しつつあった。
その時、賃貸契約の更新はなしになり、建物と園庭の借地権を買い取れと迫られた。川崎の教会を牧会伝道しながら、志木の伝道はこれからと言う 時、夜も眠れない様な課題に、主のみ前にひれ伏して切に祈った。特に、私も、川崎の教会の兄姉も、相模原に土地を購入し、礼拝堂と幼児教育が 可能な二階建の建物を建てた後だけに、皆、貧しくなっていた。
それなのに、再び開拓伝道で、次々と必要に迫られてきていた最中だった。

3.栄光の富(あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます〈ピリピ人への手紙4章19節>)
 
園庭の遊具や机や椅子、普通住宅を改修するにも数百万円を数名の方々の融資であったので、その上、建物代二五〇万円、園庭一六〇坪分の借地権 として三百万円、計五五〇万円の請求があった時、右か左へ直ぐ支払えないので、この働きを導いて下さった主に祈るほかなかった。地元の信金に 積立てをしていたので、融資金を申し出たが教会の幼稚園と言うことで、相手にしてくれなかった。そこで、家内はピアノやオルガンの個人レッス ンをし、私は子どもたちに基礎英語を教え、また、外部の特集のご用も出来るだけ引き受け、講師謝礼なども注ぎ込んだ。そして、二年目の春に は、建物の支払いをしたが、残りの三百万円は十月末日までと期限を切られた。
こうなると、業者を頼らないで、上下水道工事、大工工事、屋根や壁修理、何でも自分でやり、ついには川崎の有志の兄姉が八月の夏休みに二泊三 日の合宿をして、ワークキャンプで七坪を増築し、夜には聖会をして恵まれた。
この時、共に労した東北の出かせぎ青年は帰郷後「遺産が入ったから」と言って70万円も、返済はいつでもよいと送金してよこした。
ある日、近隣の牧師会があったので、支払い期日までに三百万円を与えられる様に祈っていただいた。その帰路、先輩の先生は「私の母教会の役員 で、O姉が融資してくれるかも・・・」と言って、頼んで下さり、利子なしで融資をいただき、ほんとうに感謝した。結果として、十一月末にF氏 に支払い、主の真実な奇跡の応答を喜んだ。




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