「主イエスとともに勝利」(聖霊の力によって) 

KFG志木キリスト教会  牧師 松木 充 師
 



「イ エスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。する
 と、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。」
 
      (ルカによる福音書 4章14節
      
        




試みは誰しも好むところではありません。しかし、避けよ うがないこととも言えます。そんな中、私たちに代わり、私たちに先立って勝利して下さったのが主イエスです。
 例えば、野球のチームが試合に勝ったら、打てなかった選手も、エラーをした選手も、チームとともに勝ったのです。私たちはチーム・ジーザス です。主イエスが勝利なので、私たちも勝利です。
 ルカ4章は、主イエスの荒野の誘惑のルカバージョンです。マタイとは誘惑の順番が違い、二番目、三番目が入れ替わっています。ルカ福音書と 使徒の働きでは、エルサレムは重要な場所です。そこに主イエスは向かい、十字架にかかり、復活されました。また、エルサレムで祈る弟子たちに 聖霊が下り、そこから福音が世界へと広がっていきました。そのエルサレムでの誘惑が、決定的に重要なものとして最後になったのかもしれませ ん。
 私たちは進んでサタンの誘惑に陥るべきではありません。主イエスは、目的があってサタンの誘惑をお受けになりました。それは、救い主として 勝利し、信じる者に勝利を与えるためです。
 この寒い時期には、寒さも身体的試練になり得ます。入学試験の時期でもあります。年度末のさまざまな忙しさ、大変さもあるでしょう。いつで も、どこからでも、試練は来ます。しかし、私たちは主とともに勝利することができます。
それは、
 ①みことばによって、
 ②聖霊の力によって、
 ③完全な人イエスによってです。

1.みことばによって勝利(4、8、12節)

 試練への勝利は、みことばによります。
 主イエスは、みことばによってサタンの誘惑に答え、退けました。
 石をパンに変えるようにとの誘惑は、申命記八3で退けました(3~4節)。生きるために必要な欲求に働きかける誘惑です。
 悪魔を礼拝すれば世界の権力と栄光をあげようという誘惑は、申命記六13で退けました(6~8節)。富、名誉・名声、地位は、いつの世で も、どこでも誘惑です。もちろん主イエスは、全世界がご自分を信じて救われるために来られました。しかし神の目的は、悪魔の方法では実現され ません。
 神殿の頂から飛び降りてみよとの誘惑は、申命記六16で退けました(9~12節)。「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来 る」(マラキ書3章1節b)という預言に関わった誘惑でしょうか。主イエスが奇跡的に出現したら、人々は主を信じたかもしれません。悪魔は、 神が守って下さると、みことば(詩篇91篇11節、12節12)を用いて巧妙に誘惑します。しかし、神をテストしてはならないのです。
 ルカの申命記引用は、マタイに比べて簡略なところもあります(4節→マタイホ福音書74章4節)。特に申命記のみことばというより、みこと ばによって勝利したことそれ自体が、ルカの関心事だったのかもしれません。私たちも、みことばを心に蓄えておくと、誘惑を受けた時、試練に 遭った時、みことばによって悪魔の策略を見抜き、打ち破ることができるのです。

2.聖霊の力によって勝利(1、14節→三21~22)

 試練への勝利は、聖霊の力によります。
 主イエスを荒野へと導いて行ったのは聖霊でした(1節)。主導権を持って引いて行ったのです。荒野の誘惑は聖霊の管理下にありました。私た ちは、好んで誘惑に近づいたり、誘惑をもてあそんだりしてはいけません。
 主イエスが聖霊を受けたのは、バプテスマを受けて祈っていたときでした(三21~22)。そして、聖霊に満ちた状態で、聖霊に導かれて荒野 の誘惑へと向かわれたのです。それは、私たちが勝利するために、救い主として勝利を取るためでした(後に詳述)。
 聖霊に満たされた人も、試みに遭います。悪魔の誘惑を受けます。しかし、それも聖霊の管理下にあると信じて、主に信頼していくことが必要で す。主が聖霊によって乗り越えさせて下さいます。

3.完全な人イエスによって勝利(四1、三23~38、三21~22)

 試練への勝利は、完全な人としての救い主イエスによります。
 先述のように、主イエスは、聖霊に満たされていました(四1)。それは、バプテスマの後祈っていたときからでした(三21~22)。
 そのイエスはアダムの子孫であると、ルカは示します。マタイ福音書冒頭の系図は、アブラハムから始まります。マタイは、神の民の代表として のイエスを描きました。ルカは、アダムの子孫、第二のアダムとして人間となられ、完全な道を歩まれた、神の御子にして完全な人イエスを描きま す。
 聖霊によって母マリヤの胎に宿った主イエスです。聖霊はいつもともにおられました。しかし、なぜ、祈って聖霊を受けられたのでしょうか。そ れは、主が第二のアダム、全き人、人類の代表だからです。そのようにして、信じてバプテスマを受け、キリスト者となって祈れば、誰でも聖霊に 満たされることができる時代を到来させて下さったのです。
 この主イエスが、悪魔の誘惑に勝ち、人類の罪を負って十字架にかかり、復活して勝利をおさめられた私たちの救い主です。私たちは弱く、個人 的には時々負けても、主とともに勝利です。不振の選手でもチームが勝てばともに勝利できるように――。同時に、私たち自身も、聖霊によって全 き人である主イエスにかたどって造り変えられ、聖霊に満たされ、主イエスの臨在に満たされることによって勝利できるのです。
 もちろん、勝ち方にもいろいろあるでしょう。明確に勝つこともあれば、苦しみながら耐えているうちに、気が付いたら乗り越えていた、という ような勝利も――。主イエスは、必ず勝利を与えて下さいます。真の人として主が歩まれた道を、主ととも進んで行くときに、みことばにより、聖 霊によって勝利し、ますます聖霊の力に満たされていくことができるのです。
 


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