「神のことばに生かされて」(みことばの証人)  

      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 



「私 は、『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語る
 まい。』と思いましたが、主のことばは私の心のうち
 で、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようにな
 り、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられませ
 ん。」          
          (エレミヤ書20章9節)

「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神
 が御霊を無限に与えられるからである。」        

    (ヨハネによる福音書3章34節) 
             




1.主の御手が口に触れて(1章9節)

BC六二六年(イエス降誕六百年前)、主は祭司の子エレミヤを選び、その声をひびかせ、神のことばを持ち行く器とされた。
ユダの民を滅亡から救い出す使命を与えられたのは、神の臨在(現臨)に触れ、主のみことばを「あなたの口に授けた。」と言う事実である。私た ちも、滅びゆく人々を1人でも、2人でも導きたいと思うなら、神に触れた経験を持つ事は前提である。
私は画家志望で、東京芸術大を受験したが不合格で、私が出展した展覧会にも私の絵はなかった。その時、主なる神が私の行こうとしている道を塞 がれたと、直感した。
その後、天幕伝道隊の留守番をし、メイドのような仕事をして、毎晩、そこで開かれた伝道集会に出席して、回心経験(十字架のもとにぬかずき、 涙の悔い改めをした。)
を、聖書のことばを経験(Ⅰヨハネの手紙第一1章9節)をし、心に喜びと平安を得たのである。燃える心の経験は、路傍で叫び、帰郷した折に は、五人の妹を全員、列べて「神、罪、救い」と説き、神の前に悔い改めるように迫ったりした(彼らは驚いていたが、直ぐ回心にはならなかっ た。)。

2.みことばに生きたエレミヤ

エレミヤは神の言葉をきき、素直に従う人であった。それが何を意味するかわからなくても、従順に従う姿には、やがて到来するメシヤなるキリス トの姿を見る。
例えば「亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水に浸してはならない。」(十三1~7)と命じられ「ユーフラテス川へ行き、岩の割れ目に隠 せ。」(十三4)と、実行して、しばらくして、再び、その帯を取り出したが、「腐って何の役にも立たなかった。」とある様に役立たない民と なっている姿を示したのである。
私たちの信仰は聖書に土台を置く、「聖書信仰」、もっと深めるなら「みことば信仰」である。私たちの生きざまの中心にはみことばがあって、そ れを経験する時、それはすばらしいあかしとなる。唯の信条、思想、理念であってはならない。
この二十章ではエリミヤが「主の宮のつかさ、監督者(警察長)であるイメルの子パシュフル(「喜びと自由」を意味する)によって、エレミヤは 打たれ、足かせにつながれ「恐れが回りにある」と呼ばれると言う名となり、それのみか、この家のものはとりことなって、財宝はかすめ奪われ、 略奪され、バビロンへ運ばれると、宣言した。
このつらい経験の直前には、神の命令で、「行って、土の焼き物のびんを買い、・・・」(十九1~15)そして、「万軍の主はこう仰せられる。 陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を砕く。」(11)と滅びを語り、悔い改めを迫っ たが、「聞き従おうとしなかった・・・」のである。

3.みことばは燃えさかる火(7~18)

これは、日夜、足かせにつながれ、投獄されていたことから、「私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけり・・・」云々ある様に、エレミヤ は神と共にある経験の中にありつつも、
 ①神への苦情(7~10)
 ②確信(11~13)
 ③呪い(14~18)のことばを残したほど、内なる戦 いや傷つくことがあった。
しかし、ほんものの神のことばは「燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくことに疲れて耐えられません。」たとえ、ニセの預言者の ことばに耳を傾けて、神の真実なことばを無視しようとも、エレミヤは内に黙っていることが出来ないで、火のことばを語った。
18世紀の英国は最暗黒であったが、聖書に真の救いを探求して、ジョン・ウエスレーは、アルダースゲートの集会に出席し、朗読されたルーター のローマ書の講解に耳を傾けていた時、「義人は信仰によって生きる。」(ローマ人への手紙1章17節)が説き明され、「心に燃える経験」をし た事は、あまりに有名な出来事である。まさに、「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。」(エレミヤ二 三29)とある様に、あの燃える火はウエスレーを変容させ、そのメソジストの仲間と共に、聖なる火のメッセージが多くの人々の胸をつらぬき、 多くの人々が悔い改めて救われ、罪に滅びる英国はジェントルマンの国となり、大リバイバルは百年も続いたのである。「人は心に信じて義と認め られ、口で告白し救われるのです。」(ローマ人への手紙10章9節)
信仰によって、得た恵みを黙っていたら恵みを失う。エレミヤは人々への裁きのメッセージを語りたくないと、葛藤したが、燃える火(聖霊)に よって語った。
私たちはバビロンからの解放どころか、罪汚れ、この世や死からさえ、尊い十字架の贖いによって(信仰と恵みによって)、解放されたとするな ら、キリスト者と呼ばれる、すべての者が燃える火によって(涙を流して)、あかしすべきであろう。みことばには火やハンマーの力があることを 見せていただこう。






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