「実を結ぶ福音」
(みことばの聞き方)

      KFG志木キリスト教会  牧師  松木 充 牧師
 



「し かし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことで
 す。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっか
 りと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」

             (ルカの福音書八15)   




キリスト教の教えをすべて示しているのは聖書です。その ような聖書のメッセージを徹底的に単純化するなら、イエスキリストにおける救いのメッセージ=福音と言えるでしょう。
4~8節は、「種まきのたとえ」、9~15節は、その解説です。
種とは神のことばです(11節)。それは、10節では「神の国の奥義」と言われ、12節では「信じて救われることがないように」悪魔がみこと ばを持ち去るので、「神のことば」は福音と同義と見てよいでしょう。聖書にある神のことばは多くのことを語っていますが、それらすべての根底 であり、中心であるのは、福音なのです。
そして、さらに周辺の文脈を読むと、8節後半には「聞く耳のある者は聞きなさい」、18節に「だから、聞き方に注意しなさい」と言われ、21 節に「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです」と言われます。種まきのたとえは、みことばの聞き方を教えてい るのであり、その教えが19~21節の出来事まで続いていることがわかります。(ルカ福音書のひとつの魅力は、教えや出来事の文脈で教えを展 開することです。)
福音のみことばを正しく聞くと、豊かな実を結びます(15節)。それは、「百倍」(8節)と言われます。マタイは「百倍、六十倍、三十倍」 (一三8)、マルコは「三十倍、六十倍、百倍」(四8)と、福音書間で若干表現が違いますが、マルコは、ますます豊かに実を結ぶことを表わ し、マタイは、少ない者でも三十倍…と、その豊かさを表現し、ルカは、単純に「百倍!」と、単刀直入に豊かさを表現したのでしょう。
そのように、豊かな実を結ぶみことばの聞き方とは、良い地としてみことばの種を聞くことであり、実を結ばない聞き方とは、道ばた、岩地、いば らのような心で聞くことです。
みことばを正しく受け止めると結ぶことができる実は、さまざまあります。悔い改めの実、祝福の実、御霊の実、伝道の実…。それらはすばらしい 実であり、豊かな実りがあると、主イエスは言われるのです。
私たちは、すばらしい、そして豊かな実を結ぶことができます。それは、みことば=福音の聞き方によるのです。 
そこで、①実を結ばない聞き方、
    ②実を結ぶ聞き方について学びたいと思います

1.実を結ばない聞き方(5~7、12~14節)

主イエスは、実を結ばないみことばの聞き方を教えています。それは、道ばた、岩、いばらにたとえられます。
道ばた(5節)――道ばたは、地面が踏み固められて石のように固く、そこに落ちた種は根を張ることができず、人に踏みつけられ、鳥に食べられ ます。それは、悪魔がみことばを持ち去って救われないようにすることのたとえです(12節)。この世の聖書よりも良さそうに思えるものに気を 取られていると、みことばが悪魔に持ち去られるのです。
岩の上(6節)――水分がなく、根がない状態です(13節)。喜んで受け入れますが、しばらくは信じていても、試練になると身を引く人のこと です。初期の教会の試練は、迫害でした。しかし、迫害が少ない時代でも、信仰を妨げる試練は起こります。不幸、病気、経済等々。あるいは、い やがらせ程度の迫害は、いつの時代にもあります。キリスト教は初めから迫害の歴史を歩んできました。
いばら(7節)――この世の心づかい、富や快楽でふさがれて、実が熟さないのです(14節)。なお、農夫は、いばらの藪の中に種を蒔いたりし ません。畑にいばらの根が残っていて、それが生えてくるのです。世への執着を握りしめつつ神を信じ、みことばに従うことはできません。
明治以来、日本の文学者には聖書に傾倒した人が多くいました。芥川龍之介、太宰治、北村透谷、国木田独歩…。国木田独歩は、アメリカの神学校 に行って伝道者になる志が資金不足で遂げられず、挫折して信仰から離れました。「よく守り、耐える」ことができなかったのです。神のみこころ のままに生かしていただくのが、良い地のような受け入れ方です。

2.実を結ぶ聞き方(8、15節)

主イエスは、実を結ぶ聞き方を教えています。
それは良い地にたとえられます(8節)。よく耕されて、種が根を張り、いばらもないのでよく生長する」と――。「守り」は、みことばに従うこ とでもあるでしょうが、心にとどめ、信じ続けることも意味します。
さらに、続く文脈から窺えることもあります。聞いて信じた後、みことばの光を隠さないこと(16~18節)。聞いて信じたみことばを、生き方 やことばで表現しないで隠していると、やがて持っているものまで失ってしまうのです。それを隠さずに表わしていくと、もっと豊かに与えられま す。
聞いて行うこと(21節)。みことばを聞いて行う者は、キリストの家族だと言われます。豊かな養いを受け、守られ、いつも愛されていることを 実感し、平安の中で過ごします。「聞いて行う」とは、みことばへの従順を意味します。それは、「信仰の従順」(ローマ人への手紙1章5節)と 言われるように、神・キリストへの信仰そのものです。神に信頼する者は、神のみことばに信頼します。みことばに信頼する者は、みことばに従い ます。
もちろん、ここには種である「神のことば」=福音の内容は書かれていません。それをかいつまんで言うならば、イエス・キリストは人となられた 御子なる神であり、私たちの罪を負って十字架で代わりに刑罰を受けて下さり、誰でもイエス・キリストを救い主として信じるなら救われるという ことです。
良い地として、素直な心で、神とキリストとに従順になって、喜んで福音のみことばを受け入れたいと思います。そして、豊かな実を結ぶ者として いただこうではありませんか。





 ホーム