「力あるキリストの救い」 KFG志木キリスト教会 牧師 松木 充 牧師
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ここには、強力で、おびただしい数の悪霊に取りつかれた 人が救われた出来事が記されています。救い主イエス・キリストには、どんな人でも救う力があることが、最も如実に示された出来事と言えるで しょう。 聖書の悪霊つきを、今日的には精神病だと割り切ってしまう人も多くいます。もちろん精神医学の治療を軽んじるわけではありませんが、聖書が 明確に述べている悪魔、悪霊がその背後にいるケースも多いでしょう。病気に乗じて働く悪魔的な力を否定したら、悪魔の策略に陥るでしょう。し かし、悪魔や悪霊に戦々恐々としている必要はありません。彼らよりはるかに力がある主イエス・キリストに目を向けることが、より重要です。 ある日、唐突なように「向こう岸へ渡ろう」と主イエスが言われ、やがて嵐が起こる湖に主と弟子たちは漕ぎ出しました(22~25節)。それ は、嵐を静める主の力を示すためだけではなく、目的地、めざしている人があったからです。それが、このゲラサ人の地で、「レギオン」という強 力かつ多数の悪霊に取りつかれた人でした。 彼は、着物も着ず、家にも住まず、墓場に住んでいました(27節)。つまり、社会性を全く失い、死と悪魔・悪霊の支配を象徴する場所に住み着 いていたのです。彼は、鎖や足かせでつながれても、それらを断ち切って荒野に逃げるほどでした(29節)。それほど強力で多数の悪霊は、「レ ギオン」、つまりローマの六千人の軍団の名を名乗ります(30節)。その悪霊は、そこで飼われていたおびただしい数の豚に入ることを許され、 この人から出て行き、豚は湖になだれ込んで死にます(31~34節)。 この悪霊につかれた人の特徴は、自分から何とかしようと思えないこと。神の救いが必要だと思えないことでした。むしろ救い主が来られたら、か えって苦しんで拒否しました。それでも主イエスは、レギオンに取りつかれた人を救うことができました。 どんなに困難な状態の人でも、主イエス・キリストには、救う力があります。 それは、①イエスの予知、 ②イエスの愛、 ③イエスの力によってです。 そして最後に、救われた人の証しについても触れておきたいと思います。 1.イエスの予知 「こうして…」(26節)と言われます。先述のように、やがて嵐が起こる湖に漕ぎ出したのは、ただ嵐を静める主の力を見せるためだけではあり ませんでした。嵐を静めて、なお向こう岸へと進んで行ったのは、このレギオンに取りつかれた人がいるのを知っていたからと考えるほかありませ ん。 主は、私たちがここにいることをよくご存知です。ここに伝道を開始され、教会を建て、数々の困難を乗り越えさせて今日に至らせて下さいまし た。 2.イエスの愛(32~33節) を愛しておられました。主の愛が、どんな人でも救う力です。 主イエスの、この一人の人への愛は、嵐の湖を越えて行かれたことにも現れていますが、おびただしい豚の群れを犠牲にしてでもお救いになったと ころにも現れています。一人の人の価値は、何千頭もの豚より、全世界より大きいのです(九25)。 主イエスは、九十九匹の羊を置いて、一匹の迷った羊を探す羊飼いのたとえ話をされました(15章3~7節)。良い羊飼いである主イエスは、こ の一人の人をめざして、ガリラヤ湖の向こう岸、旧約聖書も知らず、メシアを待望しているわけでもない人々の地域に入って行かれたのです。 3.イエスの力(28~29、31~33節) 主イエスは、悪魔や悪霊が全く及ばない力をお持ちです。どんな人でも救うのは、そのような主イエスの力です。 悪霊どもは、イエスの権威を知っていました(28節)。せめて今滅ぼさないで、世の終わりまで待ってほしいと嘆願します(31節)。 彼らは「レギオン」と名乗ります(30節)。レギオンはローマ軍の六千人の軍団の名称です。それほど多数で強力な悪霊も、イエスの命令に従う ほかはなく、嘆願することしかできないのです。彼らは豚の群れに入ることを願って許され、おびただしい豚が湖になだれ込んで死にます (31~33節)。すさまじい悪霊の力ですが、それにも勝るイエスの力と権威もわかります。 自分自身、「どうにかしなければ…」と思うこともできない、悪魔にがんじがらめにされた人でも救う力をイエスは持っておられるのです。 一時期「霊の戦い」が流行したことがありました。神の力と悪魔の力が勝ったり負けたりするように思えました。もっと祈らなければ負けるぞ、 もっと信じなければ負けるぞと…。死から復活された主を信じる者は、圧倒的な勝利者となるのです。 4.救われた人の証し(38~39節) 最後に、主の救いを伝える、救われた人の証しにも触れておきます。 この人は、主について行きたかったのですが、主はお許しになりませんでした(38節)。むしろ、「家に帰って、神があなたにどんな大きいこと をしてくださったかを、話して聞かせなさい」と言われました(39節)。 それは、この地方の人々が、あまりのことに驚き恐れ、イエスを信じるどころか、「出て行ってください」と言うほどだったからでしょう (36~37節)。異邦人の地で、旧約の下地もメシア待望もない人々です。イエスに恐怖しか覚えない人々に伝道するには、彼らが元々知ってい て、その変わりように驚いたこの人の証しが必要でした。この人は、主イエスの救いを、「家」どころか、町中に言い広めました。 時には、神は牧師・伝道者より、救われた人の証しをお用いになります。救われて変わった人の証しは、「論より証拠」の力があるのです。 |