「驚くべき神の愛」(神との関係の回復) KFG志木キリスト教会 主任牧師 久保 真理 牧師
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● 福音の核心 ヨハネ三の福音書3章16節のみことばは福音の核心で、ある人はこの聖書の一句があれば、人々が救われ、「この世界は神のもとへ帰ることがで きる。」と言われた。まさに、驚くべきみことばで、「ワンダフル」と言うよりも「アメイジング・グレイス」(これ以上のない、至上の恵みであ る。)、もう一度、この地上に、二度と再びない、ひとり子を与えるほどの神の愛(アガペー)を心に刻んで欲しい。この愛に、唯一度の感動でな く、日々に驚き、恵まれて歩みたい。 1.まことの神(創造主) 川崎の開拓伝道に用いられた古い屋敷は、前に住んでいたご家庭が、郊外に新しい家を建て、引っ越していかれた。その時、立派な神棚をそっくり 置いていかれた。そのご家族は、「新しい家には新しい神様が必要だから、古い神様はいらない!」と言っていたそうだ。 私たちは、その日本間を教会の集会所として使用するので、何とか外そうと試みたが、仲々きれいに外すことができないので困った。そこで、油絵 の額をはめ込み、神棚はただの物入として使用した。 最近、観光ブームはよいが、日本の各地の風光明媚な所のほとんどが神社仏閣があって、多くの人々がご利益や倖せを願って拝んでいる姿が目につ く、何か空しく、悲しい気持ちになり、心が沈む、まことの神がわからない人々は、何でもよいから拝んでいる。 私どもの家で、長女が幼児の時、タオルケットを首の周りに巻き、いつも、メキシコ・スタイルで、それを引きずって歩いていた。 心理学から言うと、このタオルケットは子どもの「代用ママ」だそうだ。母親が忙しくしていて、子どもに対して充分なスキンシップがもてない 時、子どもはタオルや毛布の切れはしで、代用しているのである。 多くの真の神を知らない人々は、代用ママならぬ「代用神様」で、ごまかしているのである。 聖書の神は天地創造の神で、人格神であり、人を神の愛の対象、すなわち、交わりが出来る愛の関係へ回復することを求めているのである。 しかし、人はまことの神に背を向け、「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」(ロー マ人への手紙3章2節) 3.ひとり子を与える愛 創造主なる神は愛を本質とする御方、と同時に「聖」なる方で、「回転の影もない」聖い御方である。罪人をそのまま、受け入れ、交わりを持つこ とは出来ない。そうかと言って、ほっておいたら、永遠の滅亡である。そこで、数千年の昔から、その救いの計画を預言者を通して、語り、つい に、二千年前、神のひとり子(イエス・キリスト)を、この罪の世に遣わし(西洋でも東洋でもない、中東のイスラエル)、あらゆる苦しみ、悩み を通られて、律法に照らしても、罪を犯さずに人としての歩みを全うされた上で、罪の身代わりとして十字架について死んで、復活されたのであ る。 「子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。」(ヘブル人への手紙2章13節) ある学者が蟻の研究をしていた。彼はある時、蟻にはどう見ても、自分の巣にたどりつくために、まわり道をする習性があることを知った。そこで 蟻にこの悪い習性を知らせ、ムダのない生き方をするように、知らせたいと思った。ところが、もし、蟻になって、蟻の言葉を語り、蟻の生活をし たら、やはり蟻の悪性を持ってしまうだろうと気がついた。そこで、学者の知識を持って、からだだけ蟻になればよいと、考えたとのこと。 「わたしたちがまだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのであ る。」(ローマ五8) そして、このキリストを信じる者が、神の愛を経験し、その救いに与るのである。まさに、「・・・信じるすべての人にとって、救いを得させる神 の力です。」(ローマ人への手紙1章16節~)とある通りである(○参ヨハネの福音書1章14節)。 三、驚くべき神の恵み 私は神学校を卒業後、山形県のM市へ、開拓伝道に遣わされ、一年後、一〇人の人が最上川で洗礼を受けた。その中の一人は高校生で、中学生頃か ら農村の暗い面を見、文学書や社会科学の本を読みあさり、さらに仏教の本や仏典まで読み、厭世思想にとりつかれ、すっかり世の中がいやにな り、生をのろい、希望のない生活に悩み、孤独であった。その様な時に教会を尋ねてきたりしたが、丁度、私が留守をしていたので悩みを打ち明け られないまま、自殺をはかった。 幸い、下宿のおばさんが早めに発見し、病院へかつぎ込んだので、一命を取りとめた。母親に「今、病院にいますが、会ってやってください。」と 言われ、彼のベットにかけつけ、涙をもって、十字架の恵みを語った。彼はイエスが十字架と復活によって、罪と死から救ってくださったことを信 じた。彼は涙の悔い改めをして、十字架の身代わりを深く受けとめた。彼は「不思議に心が軽くなり、今までなかった喜びを感じることができまし た。」と、あかししていた。まさにアメイジング・グレイス(驚くばかりの恵みである。) |
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