「生ける水の川」(神の豊かな祝福)


      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 

 

 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆ
 る生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水
 が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る
 所では、すべてのものが生きる。」

             (エゼキエル書47章9節)
  



1.ビジョンの預言者

「ビジョンのない民は滅びる」と箴言にあるが、バビロン捕囚と言う試練の中にある民の預言者、エゼキエルは、主なる神からビジョン(幻)を示 され、それを語って、ユダの民を励ましてきた。少なくても、三つのビジョンが描かれて、「彼らはわたしが主であることを知ろう」(50回以上 書かれている)と、この書全体に響いている。
まず第一のビジョンはケルビムや主の栄光の象徴的表現で、神の支配、統治を示している。つまり、超越的栄光の象徴的な姿を現わしている(一~ 三章)。
第二は神の介入によって、義なる神のさばき、つまりエルサレムの陥落、離れ去る栄光を示している(八~十一章)。
そして、第三のビジョンは復帰する栄光を示し、神の恵み深さの回復が表現されている(四〇~四八章)。

2.未来の教会のかたちか? (四〇~四八章)

ここには、エゼキエルがケパル川のほとりで、示された神殿が描かれているが、ソロモンの建てた神殿ではなく、残りの民によって建てられた「後 の神殿でもない」。
さらに、後に、ヘロデがエルサレムに建てた神殿でもない(AD70年に破壊された。)。
多分、キリストを頭とする未来の教会の姿ではないか?と思われる。
その神殿の敷居の下(つまり至聖所から=臨在の場所)から水が流れ出ていた。しかも「東のほうへ」と流れ出ていた。東は日の昇る方(やがて義 の太陽なるキリストが再臨することを暗示している。)しかも、この「水は敷居の下から」とは、最も低いところから聖霊の流れはながれて来る。 事実、イエスは神の子で、神の右に座している御方であったが、私たち罪人を救うために、最も低い馬小屋に生れ、貧しき、憂いをなめる底辺の人 生を歩んで下さった。
私たちも、低く、卑り下ることによって、生ける水の川なる救い主にお会いする。あのサマリアの女は、スカルの井戸辺りで、「しかし、わたしが 与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ま す。」(ヨハネによる福音書4章14節)と、すばらしい約束のみことばをいただいた。
彼女は人の愛に幸せを求めて、五人も夫をかえたが、六人目の今の夫も、真の満足を与えるものではなかった。そこで、七人目の真の夫なる救い主 に出会ったのである。まさに泉なる「永遠のいのちへの水がわき出る」生涯へ変えられたのである(ヨハネ四5~30)。

3.生ける水の川のプロセス

神殿の敷居の下から始まった生ける水の川は、千キュビト(指の先から肘までの長さ= 一キュビト)で、約五百メートルほどで、足首の深さになった。さらに五百メートル進むと、預言者の足の「水はひざに達した。」 (4)
この聖霊の川は人を生かし、流れにそって歩いていくうちに、ひざに達する川となり、浮力を増し、生物や魚を生かし、真水は塩水をいやし、文字 通り、いのちの川となって、水の行くところ、すべてのものが生き、いきとなる。さらに五百メートル進むと、「腰に」 (4)、そうして、五百メートル後には、「渡ることのできない川となった。水かさを増し、泳げるほどの水となり・・・」 (5)と、ついに泳ぐほどに豊かな川となって、溢れた。
「神の川は水で満ちています。」 (詩篇65篇9節)と、ひたひたの流れでも歩み進むうちに満ちみちた川の流れを泳ぐほどの信仰になれば、何と流れにまかせた歩みとなり、楽々と永遠のいのちに至ることが出 来る。
しかも、この「川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が 聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」 (エゼキエル四七 12)
聖霊の流れは岸辺にある果樹にゆたかな結実をもたらし、その葉はいやしの薬となり、しかも、毎月、新しい実をつけるとは、驚きのみわざであ る。私たちがきびしい条件下にあっても、主の臨在をわがものとして、その生ける水の流れの中におれば、いのちの果を収穫し、主の栄光のみわざ を拝し、その恵みに私たちもゆたかにあずかれるのである。
明治時代に、森永製菓の森永太一郎は米国で入信し、帰国後、「われは罪人の頭になり」と、みことばのたすきをかけ、屋台店を引きながら、東京 や横浜で、洋菓子、特にキャラメルを売り歩いたが仲々大変で、「バター臭くて食べられない…」と、苦労したそうである。このご夫妻、ひたすら 祈りつつ、信仰の戦いをつらぬいた結果、一代にして、東洋一の製菓会社を築くことになった。
ところが、成功すると、信仰の歩みを忘れ、その製菓会社の屋上に、偶像崇拝の祠をおくと言う状態になった。初期の信仰を知る牧師はなげいて、 横浜にあった製菓会社への福音宣教を祈り、ついには、晩年になってからの森永氏を再び、主のもとに導いた牧師もいた。
それでもその創設者の信仰を思い出す者がなく、いろいろ試みるられることもあったようである。そのしるしとして、そのマークはエンジェルであ る。






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