ク リスマスメッセージ

KFG 志木キ リスト教会  主任牧師 久保 眞理 牧師
 
 

「「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
 世を愛された。
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることな
 く、永遠のいのちを持つためである。」


        ヨハネの福音書3章16 節




むかし、和歌山県で、升崎 外彦と言う牧師(1892年~19765年)が農・漁村の伝道のために、和歌山県南部町に「労祷学園」と言うお祈りと畠を耕し、聖書や英語を若い人たちに教えた。
始った頃、七人の青年たちがこの学園に通い、賛美歌をうたい、チャペルの時をもち、英語を学び、畠を耕し、彼らは喜んで日々を過ごしていた が、ある日、うわさを聞いて、「アホ忠」と言う、青年が仲間に加わった。見るからに身体は大きいが、いつも、スローモーで、頭の弱い若者で、 皆で働くときは力強かったが、ご飯はおどろくほど大食いで、合宿の青年たちが、ゆっくり食べていると、おかずも、ご飯も足らなくなった。
その上、自分で寝る布団をもって来なかったので、升崎先生の布団に入り込んで寝ていた。ところが、大きな世界地図を作ってしまい先生は、いや がらず、その布団を乾かすためにアホ忠と一緒に干していたら、青年たちは、「こんな、おねしょするようなアホ忠といっしょに、勉強するのはイ ヤだ!」と言いはじめ、何人かはやめていきました。
いくら、アホ忠でも、この様子には考え込んでしまいました。ある時は、あの青年たちがいなくなって、淋しくなった。そうすると、アホ忠も、い つの間にか、いなくなり、うわさでは漁師の船に乗って、働いていると言うことであった。
事実、理解ある船長の船に乗って、漁に出て働いていた。その時、アホ忠は労祷学園の聖書と賛美歌を大切にもっていて、自分なりにお祈りした り、聖書を読んでいた。
ところがある日、この漁で、沖へ出ている時、大嵐に合い、船底を岩にぶつけて、海水が船に流れ込んでき始めた時、この、アホ忠が船底におり て、ぼろきれを穴につめたり、水をかい出したりしていたが、ついには、船底の穴に自分の足を入れて、海水の流入を止めて、賛美歌をうたってい た。
彼はオランダの少年の話を升崎先生から聞いていたので、この時とばかり、船を沈めないために、がんばっていた。
やがて、嵐がやみ、何とか港に帰ってきた時、船長や乗務員が、船底に行ってみると、アホ忠は穴にボロ布と共に自分の足も入れていたので、岩に 船がぶつかった時に。足はもげて、血が流出し、だれもわからない間に死んでいたのである。船の人たちはアホ忠をばかにしていたけれども、自分 たちがアホ忠の犠牲によって助かったことを知り、泣いた。
その持ち物の中から、「和歌山労祷学園」と聖書や賛美歌に名が記されていたので、船長と乗務員は、その船の「方向舵」をもって尋ねてきた。そ して、自分たちはアホ忠に助けられたと語り、涙した。
升崎先生も、この実話に感動し、この学園の一棟の屋根の上に、アホ忠の犠牲的な愛を忘れないように、高く掲げ、ほかの青年たちにも、イエス様 の愛を忘れないように語った。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを 持つためである。」    ヨハネの福音書 3章 16節






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