KFG
志木キ リスト教会 牧師 松木 充 牧師
|
|
ルカ2章1節が述べるように、イエス・キリストは、 ローマ帝国初代皇帝アウグストの治世に生まれました。つまり、歴史的事実です。 具体的な年代は、紀元前四年、前六年、前七年など諸説ありますが、嬰児イエスを殺そうとしたヘロデ大王の死が紀元前四年なので、それより前 であるのは確実です。(今日まで用いられている西暦は、計算が間違っていたことが分かったが、広く用いられているため修正されませんでした。 ついでに、イエス・キリストの降誕は、多分冬ではなかったと思われます。羊飼いが野宿する季節だったからです。12月25日は、元は密儀宗 教ミトラ教の冬至の祭で、太陽神ミトラの復活を祈った祭でした。ローマ教会の記録によると、12月25日のクリスマスは、336年頃始められ たと思われます。ミトラ教の残酷で不道徳な祭の習慣を変えるためだったと考えられます。それは大成功でした。今日ミトラ教を知る人など少ない でしょう。 聖書の最初のクリスマスに話を戻します。イエス・キリストは、何のためにこの世に来られたのでしょうか。 1.キリストは世界の片隅にいる人を救うために来られた イエス・キリストは、ベツレヘムでお生まれになりました。首都エルサレムから七~八キロメートル南の田舎です。ダビデ王の出身地ですが、今 やそれは遠い昔の栄光、当時は寒村に過ぎません。また、イエスがお育ちになったナザレも、ユダヤの中心から遠いガリラヤ地方の村でした。 当時の世界の中心はローマでした。イスラエルはローマ帝国の属国で、その首都ですらない田舎の村ベツレヘムやナザレ。どんなに弱小民族で あっても、神は、神の民イスラエルを顧みて下さいました。その中でも田舎の村に来て下さったキリスト。世界の救い主が世界の片隅にお生まれに なったのは、どんな片隅にいる人でも救って下さるためです。極東の日本人でも救われます。あなたを愛する神にとっては、あなたがいる所が世界 の中心なのです。 2.キリストは最も低いところにいる人を救うために来られた ヨセフとマリヤは、ガリラヤのナザレからベツレヘムに来ました。アウグストの命令による人口調査のためです。 彼らは、皇帝の命令ひとつで右往左往させられる、無力で、存在すら全く知られていなかった庶民でした。しかも彼らは、宿屋にも泊まれません でした。寒村に宿屋など少なく、すぐいっぱいになったはずです。 また、ルカ福音書の降誕記事には、「馬小屋」の文字はありません。当時の宿屋はコの字形の建物で、中庭に旅人たちの馬やロバのために共同の 飼葉桶がありました。そこに赤子のイエスが寝かされたと考えるのが、ルカの記述に最もよく合うようです。 最初にイエスを拝みに来た羊飼いたちは、衣服は汚れ、家畜の臭いがして、社会的地位も低い人たちでした。彼らが難なくイエスを探し当て、気 兼ねなく会えたのも、宿屋の中庭だったためかもしれません。 天使は、まず社会の底辺にいる羊飼いたちにイエスのご降誕を告げ、天の大軍勢が神を賛美します(ルカの福音書2章4節)。最も低いところに 生まれたお方、最も低い人たちにまず誕生が告げられたお方が、実は天使たちがほめたたえる神の御子、救い主だったのです。これがルカ福音書が 描くキリスト像です。 イエス・キリストは、どんなに低い人でも救います。自分を罪人と知って、低くへりくだる人を救います。このように低くお生まれになった救い 主が、自分をさらに低くして、すべての人の罪を負って十字架刑をお受け下さったからです。誕生の時からの苦難は十字架の予兆でした(ル ター)。 3.キリストは罪人を救うために来られた 低い者として生まれて下さったイエスは、生涯を通じて取税人、罪人、遊女の友でした。品行方正なパリサイ派、神殿の祭司層だったサドカイ派 は、イエスを拒否しました。 取税人、罪人、遊女たちは、当時のイスラエルでは最も罪深いとされていました。取税人は、ローマ帝国やヘロデ王家(異民族からユダヤ王と なった)のために税を徴収する非国民でした。罪人とは、ユダヤ教の律法に対してルーズな庶民です。遊女については説明不要かと思います。 日本人の多くはまじめな人たちです。しかし、内側には汚い思いがいっぱい詰まっていないでしょうか。パリサイ派、サドカイ派は、多くの群衆 に慕われるイエスをねたんで、罪をでっち上げて殺しました。聖書は、どんなにまじめな人でも、神の前にはすべての人が罪人だと言います。 「自分ほど罪深い人間はいない、片隅にいるべき者、最も低い者だ」と思い、神の前に、罪を悔いてへりくだる人を、キリストは必ず救って下さ るのです。イエス・キリストを救い主として心に迎える人にこそ、本当のクリスマスが来るのです。 田中文人牧師は、現在福岡県大牟田市、有明キリスト教会牧師です。5歳で高熱を発して入院、使用した新薬によって失明、脚も不自由になりま した(サリドマイド)。両親は、幼くして失意の中に生きるわが子を救ってほしいと願い、一家で教会へ。しかし、文人少年は長い間心を閉ざしま した。13歳の時、文人少年の心に、神をのろい、人生をのろっているその心こそが罪で、その罪のためにイエス・キリストが命を捨てて下さった という、十字架のメッセージが鮮明に入って来ました。イエス・キリストによって、彼の心は変えられたのです。いろいろなことに興味と意欲が湧 き、ピアノを始め、めきめき上達し、やがて大学にも進学、牧師になってキリストを宣べ伝える志が与えられます。卒業、就職、クリスチャン看護 師と結婚。通信の神学校で学び、貯金して一年間テキサスで研修、有明キリスト教会に就任されました。文人牧師のピアノと奥様の美声とで、讃美 歌を歌う会を開いて伝道し、小さかった教会は成長を続けています。 |
|