2019
年元旦メッセージ
「愛によって建てられる教会」(キリストによる一致と成長)
KFG
志木キ リスト教会 主任牧師 松木 充 牧師
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久保師が思いがけず12月に天に召され、新しい年を迎えています。それは試練でもあります。しかし、このような時こそ、それぞれが恵みに満ち 溢れて、成長、前進する年としたいと願います。 エペソ人への手紙は、ローマの獄中で書かれたとされ、テーマは「キリストのからだなる教会」です。本日のテキスト、エペソ人への手紙4章 1~16節においては、教会の一致、種々の働き、成長が語られます。特に、16節を中心として、教会の成長の秘訣を学び、今年の目標としたい と思います。 参考として、『新改訳2017』の16節を紹介しておきます。「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、 つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」 ここで大きな鍵となるのは、最初の「キリストによって」(直訳、キリストより出でて)と、最後の「愛のうちに」(愛によって)です。教会を 建て上げる原動力はキリスト、そのすべての方法・手段を総括するのは愛です。 これは、夫婦、家庭においても、あるいは、すべての社会的集団においても同様です。教会の成長を中心に語りますが、家庭も小さな教会です (五22~33)。自分の周りに、応用できることも多々あると思います。 私たちの教会は成長できます。 ①キリストに結び合わされて成長、 ②各部分の働きによって成長、 ③愛のうちに成長という順序でお話しします。 1.キリストに結び合わされて成長(16節、1~6節) 私たちは、キリストによって結び合わされているから、成長することができます。「備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わさ れ、結び合わされて、成長して…建てられる」と言われます。組み合わされたり、結び合わされたりするのは、キリストによります。 1~6節、特に4節以下には、「からだは一つ」「御霊は一つ」「主(=キリスト)は一つ」「信仰は一つ」「バプテスマは一つ」「父なる神は 一つ」と言われます。父なる神をまことの神と仰ぎ、聖霊の声に従ってイエス・キリストへの信仰を告白し、キリストと一つとなるバプテスマを受 けた者は、キリストが一人であるがゆえに、一つなのです。これが信仰による一致の原点です。キリストと一つになった者達だから、「キリストの からだ」なのです。 「結び目」というのは、教会が「からだ」と比喩されているので、「関節」とも訳せます。関節が骨格をしっかりと結び付け、組み合わせている ように、私たちはキリストによって結び合わされています。 「備えられたあらゆる結び目」は、「供給の結び目」「支えの結び目」とも訳せます。結び合わされた部分部分は、互いに支え合い、必要を供給 し合っています。だから、お互いに成長できるのです。 私たちは、小指が傷ついても身体全体が痛みます。一人の痛みは皆の痛み、一人の喜びは皆の喜び、一人の必要は皆の必要です。祈り合い、励ま し合い、慰め合い、支え合ってこそ、皆が成長できるのです。 2.各部分の働きによって成長(16節、7~12節) 私たちは、キリストのからだの各部分の働きによって成長します。「一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力によって…」と言われます。 復活のキリストは、賜物を分け与えて下さいました(7~10節)。「一つ一つの部分」とは、キリストによって賜物を与えられ、様々な働きを する人々です。その具体例が11節です。 使徒は、直接キリストによって立てられた人たち。今はいませんが、その教えは聖書に書かれています。預言者は、神のことばを伝える人。新約 聖書時代は聖霊によって語る人々でしたが、教えの規準である新約聖書が書かれてからは、必要が薄れました。しかし、その時必要な教えを聖霊に よって語る説教者は、今も必要です。伝道者は巡回宣教者。牧師または教師は、「牧師すなわち教師」でしょう。牧師は、教えによって教会を霊的 に養います。 そのような教職者が立てられているのは、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため」です(12節)。皆が賜 物に応じて働くのです。それは、「建て上げるため」、キリストのからだが信仰において、知識において一致し、成長するためです(13~15 節)。 例えば、教会に来て座っていることも、キリストのからだにとって重要なことです。そこにいるだけで証しになるのですから。 3.愛のうちに成長(16節、15節) 私たちは、愛によって成長することができます。これは、最初に触れたように、最も根本的かつ包括的な成長の要因です。 「愛のうちに」は、「愛によって」という手段の意味があります。15節には、「愛によって真理を語り」と言われます。どれほど正しいと確信 することを語っても、愛がなければ傷つけてしまうこともあります。愛があってこそ、キリストによって結び合わされた部分部分が、互いに支え合 い、共に働くことができます。そこに豊かな成長があるのです。 「愛のうちに」には、「愛の中にあって」という意味も、当然あります。それがどのような愛かは、「キリストによって」が大きなヒントを与え てくれます。それは、直訳は「キリストの中から」「キリストより出でて」。つまり、キリストからの愛のうちにあってこそ、私たちは成長するの です。 キリストは、「この罪だけは赦さない」「この人だけは赦さない」などと言われるでしょうか。主に愛され、赦された者として愛してこそ、本当 の成長があります。キリスト者が最もキリスト者らしいのは、キリストに愛された愛をもって愛するときです。 |
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