「互いに愛し合う」(キリストの戒め)

KFG 志木キ リスト教会  主任牧師 松木 充 牧師
 
 

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは
 互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したよう
 に、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

         (ヨハネによる福音書13章334節)




元旦礼拝に与えられたみことばはエペソ書4章16節で、 愛によって教会を建て上げ、成長していくことを示されました。この新年第一の主日礼拝も、同様に、互いに愛し合うことを示されています。
 ヨハネによる福音書13章から17章は、弟子たちへの教えです。主イエスの十字架・復活・昇天後の弟子たちのあり方が教えられています。そ の中で際立つのは、聖霊についての教えと、互いに愛し合うという新しい戒めです。もちろん、それらは別々の教えではなく、密接につながってい るものです。そして、それらは繰り返し教えられています。ヨハネの記述は繰り返しが多く、ぐるぐる回りながら、展開、発展していくような印象 を持ちます。
 「互いに愛し合いなさい」という戒めも、繰り返されます(13章34~35、15章12、17)。
 互いに愛し合うべきことを、キリストは「新しい戒め」とお呼びになります(13章34)。もちろんそれは、パウロ、ペテロなどにも受け継が れています(ガラテヤ人への手紙5章14節、6章2節、ローマ人への手紙13章8~10、Ⅰペテロの手紙第一1章22節他)。律法はキリスト によって成就され、私たちはキリストを信じることによって義とされ、救われます。そして、キリスト者の生き方として「新しい戒め」が与えられ ました。それが、互いに愛し合うことです。
 このように、お互いの愛は、教会形成のみならず、キリスト者の生き方の最も根本的なことと言えるでしょう。私たちは、互いに愛し合うべきで す。
 それでは、主イエスは、なぜその戒めをお与えになったのでしょうか。
 それは、
  ①互いに愛し合うことによってキリストの愛にとどまることができる から、
  ②キリストが愛して下さったから、
  ③互いに愛し合うことによって実を結ぶことができるからです。

1.キリストの愛にとどまる(15章9~10、12)
 互いに愛し合うべきなのは、それがキリストの愛の中にとどまることだからです。
 主イエスは言われます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」(15章9 節)。父と御子の間に愛があり、その愛をもって御子イエスは私たちを愛されました。その愛にとどまるということは、キリストとの人格関係の中 にとどまることです。それは信仰であり、救いです。
 キリストの愛にとどまるということは、キリストの戒めを守ることです。御子が父の戒めを守ってその愛にとどまっているように(15章10 節)。10節の「戒め」は複数です。しかし、その中心で、最も重要なものは、互いに愛し合うことであるのは間違いないでしょう(12節)。
 テキサスで犬を飼っていました。愛する飼い主の声を聞き逃すまいと、いつも聞き耳を立てていて、よく言うことを聞きました。互いに愛し合う という主の戒めを守ることは、主を愛することなのです。

2.キリストが愛して下さった(15章13~15節)

 互いに愛し合うのは、まず主が私たちを愛して下さったからです。主は、「わたしがあなたがたを愛したように」と繰り返し言われます(13章 34、15章12節)。
 どのようにキリストが私たちを愛して下さったかを述べるのが、15章13~15です。キリストは、弟子たちを「友」と呼んで、友のためにい のちを捨てて下さいました。無論私たちも「友」と呼んで下さっています。そして、愛せない罪を赦し、愛せる者へと造り変えて下さいます。
 ヨハネは、その手紙で言います。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったの です。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(Ⅰヨハネ三16)。キリスト者の愛は、自己犠牲の愛です。そして、具体的 に行いと真実をもって愛する愛です(ヨハネの手紙第一3章17~18節)。愛とは行動です。
 誰かを愛するなら、その人のために実際に祈ることが必要です。祈ると、知恵が与えられ、その人のために何ができるかを見つけられます。ま た、勇気が与えられ、愛を行動に移すことができます。

3.実を結ぶことができるからです(15章16、13章35節

 互いに愛し合うのは、それによって実を結ぶことができ
 キリスト者が結ぶことのできる実はいろいろあります。御霊の実(ガラテヤ書5章22~232節)、祝福の実(詩篇1篇3節)、そして証し・ 伝道の実です。15章16節の「実」は、「行って」結ぶ実なので、伝道の実でしょう。
 その実が残るために、また、私たちが伝道のために主の御名によって求めるものが与えられるために、キリストは私たちを選んで下さいました。
 世の人々に対して最も力強い証しとなるのが、互いに愛し合う姿です(13章35節)。「生き字引」(歩く辞典)という表現がありますが、互 いに愛し合うキリスト者は、福音が生きて歩いているようなものです。互いに愛し合う戒めの文脈で15章16節が語られるのは、愛し合ってこそ 伝道の実が結ばれるからでしょう。
 互いに愛し合うべきなのは、教会内は当然ですが、教会間、教派間でも同様です。教義や実践が違っても、一人のキリストを主と仰ぐ者同士、一 つとなり、愛し合うことができます。そこに、証しの実が結ばれるのです。
 今千人以上集まっている教会が増え始めていくさまを、私はその中で見ていました。いろいろな要因の一つに、お互いに裁かない愛の交わりがあ りました。互いに愛し合うことは、最も力ある証しなのです。






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