「祈りは聞かれる」(どのように祈るか)  ルカ一一5~13」()


 KFG志木キ リスト教会  主任牧師 松木 充 牧師
 

 

「「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさ
 い。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

             (ルカによる福音書 11章9節)
                                         



 本箇所は、主の祈りが何を祈るかが教えられたのに対し、どう祈るか、祈りの姿勢について教えています。 私たちは、何を祈れば良いかを教え る主の祈りに沿って、御国を求め、日ごとの糧を求め、罪の赦しを求め、試みからの救出を祈ります。しかし、中には、なかなか答が得られないと 思う祈りもあります。そのようなときにどうするかが教えられています。 主イエスは、「真夜中の友人」のたとえから始めます(5~8節)。そ こから、求めれば与えられるという祈りの教えが語られます(9~10節)。そしてさらに、父親と子どもにたとえながら、天の父が祈りに答え、 良い物を与えて下さることが教えられます(11~13節)。 私たちは、何時間も祈る人、早朝から祈る人、山に行って死ぬまで祈った人など、 すごい例ばかり聞かされて、そんな祈りはとてもできないと思います。ビリー・グラハム師は、海外の御用が多く、時差ボケで起きる時間がまちま ちでも、起きたらすぐ詩篇と箴言を読んで祈ったということでした。とにかく祈ることが重要なのです。 時間を取って座って、あるいは通勤電車 の中で、歩きながら、走りながらでも、祈ることそれ自体が大切です。神様は祈りを聞いて下さいますから。 主イエスは、どう祈れば良いと教え ておられるのでしょうか。
 それは、
  ①あきらめないで祈ること、
  ②天の父に信頼して祈ることと言えるでしょうが、さらに、そのよう な祈りへの父
   なる神の答を教えて下さっています。 
  ③
父からの祈りの答え 


1.あきらめないで祈る(5~10節)

 あきらめず、継続して祈る祈りは聞かれます。 「求めなさい」、「捜しなさい」、「たたきなさい」は、すべて継続する動作を意味する命令で す。求め続けなさい、ということです。 「真夜中の友人」のたとえ話は、神は求め続ける祈りを聞いて下さることを教えています。 また、「求 めなさい」、「捜しなさい」、「たたきなさい」は、だんだん求めの強さが増しています。求めて得られないなら捜す、捜して見つけても得られな いなら門を叩く、つまり、求め続けるということです。 祈り続けることは、神のみこころを曲げて自分の願いをかなえることではありません。祈 り続けていくときに、みこころがわかってきて、真に求めるべきものがわかってくることもあります。 祈り求め続けると、捜す、たたくという、 とるべき行動もわかってきます。どこを捜すか、誰に働きかけるか等々、新しい知恵を与えられることもあります。要は、祈り求め続けることなの です。 人の救い、伝道の方策、経済の問題の解決法など、祈り求めることはたくさんあります。みことばに信頼して愚直に忍耐強く求め続けてい きましょう。
   
2.天の父に信頼して祈る(11~13節)

 あきらめないで祈り続ければ与えられることがわかれば、主の教えに沿って、すぐにその祈りへの神の答を語るべきですが、主の祈りでも指摘し た、誰に祈っているのかを再確認したいと思います。 主は、「なおさらのこと、天の父が」と言われます(13節)。主の祈りにおいては、「父 よ」という単純明快な呼びかけでした(2節)。ここでは「天の父」と言われます。 ここでは、厳密には「天におられる父」(in)というよ り、「天からの父」(out of/from)というニュアンスのことばが用いられています。父が天から乗り出してきて祈りに答えて下さる、と読んでもよいでしょう。 父親にたとえられているように、 悪い父親でも子どもには良い物を与えようとします(11~13a節)。ここは「もし、あなたがた悪い者が、自分の子どもに良い物を与えるとす れば、まして天の父は」という表現です。人間は、皆悪い者、罪人です。それでも子どもには良い物を与えたいと願います。まして、善きお方、愛 して下さる父なる神は、というのです。 実の子どもを虐待する親もいる昨今です。しかし、それは例外的で、何らかの異常な背景を持つ人でしょ う。だからニュースになるのです。自分の子どもに対する気持ちを考えると良いでしょう。 私たちが祈るのは、愛の父です。御子イエスを下さ り、罪を赦し、神の子として下さり、父と呼ぶことをお許し下さり、ご自分が持っておられる良き物を与えて養い、ついには御国を継がせて下さる お方です。  

3.父からの祈りの答え(13節)

 天の父は、良い物を下さいますが、その良い物とは聖霊です。 聖霊は、なぜ良いものなのでしょうか。聖霊は、何より継続して必要を得るまで 祈る力を下さいます。そして、その祈りをとりなして下さいます。 また、聖霊は神のみわざを行って下さいます。聖霊こそ、神の国の地上的な現 れであり、神のみこころを行って下さるお方です。ルカは、使徒の働きも書きましたが、そこにおいては、聖霊こそが、祈りに答えて神のわざを行 い、みこころを成し遂げ、地上に神の国を実現させていくお方です。 聖霊は、御子イエスに等しいお方です。人間の必要の中で、救い主以上の必 要はありません。神は、一度地上に御子をお遣わし下さっただけでなく、聖霊によって御子イエス・キリストを与え続けて下さるのです。信じる者 の心に主イエスを住まわせ、御子のかたちに造り変え続けて下さるのです。 ヨブは、正しく生きていても苦難に遭い、友人たちにも罪を犯したか らだと責められ、自分の義を主張した末に、神が現れます。神は、御自身の偉大さを示したのみで、なぜヨブが苦しまなければならなかったかを語 りません。それでも、ヨブは満足し、喜んで悔い改めるのです。私たちに必要なのは、神御自身です。救い主です。聖霊です。







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