2010年08月08日

「神の宝に」(モーセの契約)
      (出エ一九1~13)
KFG主任牧師 久保 真理
● 「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約をまもるなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあってわたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」(出エジプト一九5)

● シナイ山で律法を
今 日、私たちは律法を嫌ったり、いやがったりする傾向がある。しかし、神の祝福を得、平安な生活をするために必要なものであった。交通安全の標語に「ルール を守れば、ルールがあなたを守る」と云うのがあるが、律法は人々が神の恵みに与るために必要な道筋であり、「養育係」であった(参照ガラ三23~25)。 そう云う意味で、冒頭の聖句は重要である(一九~二四章)。
十戒などは世界の諸国の憲法に大きな影響を与えているし、不思議なことに十の戒めで、抜け道がないと云うからすばらしい。
一、わしの翼に載せ(4)
  「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」アブラハムは信仰によって神と の関係を深め(創一五1718/一七10)、その延長線上にモーセの契約もあり、律法もいただいている。それだけに、「わたしの契約をまもるな ら、・・・」の冒頭の聖句の直前にある「わたしがエジプトにしたこと、・・・」(救いの経験)は
「神の力ある手」のわざであり、また「わしの翼に載せ・・・」と荒野の困難な旅路をさまざまな戦いの中にシナイ山の麓(神の臨在のある処)まで、導かれた。「わしの翼」とは①迅速さ、②力強さ、③
一、わしの翼に載せ(4)
  「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」アブラハムは信仰によって神と の関係を深め(創一五1718/一七10)、その延長線上にモーセの契約もあり、律法もいただいている。それだけに、「わたしの契約をまもるな ら、・・・」の冒頭の聖句の直前にある「わたしがエジプトにしたこと、・・・」(救いの経験)は
「神の力ある手」のわざであり、また「わしの翼に載せ・・・」と荒野の困難な旅路をさまざまな戦いの中にシナイ山の麓(神の臨在のある処)まで、導かれた。「わしの翼」とは①迅速さ、②力強さ、③。
「わしが巣のひなをよびさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。」(申三11)と、わしのひなへの思いやり様に、神の愛の力強さ、こまやかな配慮を思う時、胸に迫る。
  イエスは「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるようにあな たの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」(マタイ二三37)と、めんどりの翼を例えておられる。
   
 二、わたしの宝(5)
  教会の財産の目録の項目に「宝物」と云うのがあるが、何十年たっても、この項目に書き入れるものはない。しかし、キリストの救いに与った一人びとりが「わ たしの宝となる」と約束してくださるのはすばらしい特技である(イザヤ書には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」〈四 三4〉とも記されている。)。
さらに、「あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」(6)と、二つの特徴が語られている。つま り、神の宝としていただいた恵みを知った者は、他者のために祈り、とりなし、導く者になり、(万人祭司)、神と人のために役立つ者になるのである。(参照 Ⅰペテ二9)
それと世に「聖なる国民となる」とも約束しておられる。「主が火の中にあって・・・」(18) (「私たちの神は焼き尽くす火」〈ヘブ十二29参24〉)とある様に、火は神の聖さの象徴である。こ