「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ 六・4)
(「両親にもひとこと言っておきます。子供をいつもがみがみしかりつけ、小言を並べて言って、反抗心を起こさせたり、恨みをいだかせたりしてはいけませ
ん。かえって、主がお認めになる愛のこもった訓練と、助言や忠告を与えて育てなさい。【リビングB】)
聖書のことばで「父たちよ・・・」とある時、お母さんも含まれていることを受けとめるべきなのです。その点、「リビング・バイブル」ですと、わかりやす
く、噛み砕いてよく表現されているので、カッコ内をよく読んで、味わってくだされば幸いです。
一、しつけをする両親の一致とは
子供に「しつけ」をする時、まず、両親が一致していることが大切です。両親の意見が違うと、隙間が出来ます。それが逆作用として子供に歪んだ影響を与える
わけです。
例えば、ある家庭では、お父さんが物凄く厳しくて、お母さんは、お父さんの前では、お父さんに同意していましても、陰で子供に「お父さんには内緒だから
ね・・・・」と、モノをやっていると、子供たちに非常に悪影響を与えます。その様な結果その性格にきびしさが半分はいり、お母さんのとんでもない妥協ぐせ
を譲り受けて、しまうのです。つまり「二重人格」になるのです。
過日、Nさんご夫妻にお会いしました。ご主人はアメリカやドイツに留学して、博士号を持つ方で奥様も女医さんで、大変に忙しく、ご活躍なさっている方で
す。
このご夫妻には一人娘がいまして、お会いした時、その五才ぐらいの女の子はとてもさびしそうな顔でした。クリスチャンのご両親なのですが、忙しいために、
幼稚園から帰宅しても、他のクリスチャンや家庭にあずけて、面倒を見てもらっていると言うことでした。この場合、大切な子育てを他者に委ねてしまっている
ようでした。
この子供から見る時、「お父さん、お母さん、もう少し、私のことを考えて、お仕事をして?」という気持ちでしょう。
私は、その子供があまりにさびしそうだったので、思わず、「かわいそうね」と、その女の子を抱いて頬擦りをしてしまいました。この時、このご両親に幼児教
育の大切さをお話していました。
そして、「これからは子供の気持ちを考えてあげて下さい!」と、アピールさせていただきました。
子供の幼児期は、親が必要な時です。ある時期からは、親が、「食事に行こう!」と誘っても、一緒に行かなくなります。ですから、一緒に喜んで来る時期に
(心の触れ合っているうちに、)「しつけ」をすることが必要なのです。それを外してしまうと、反発されるだけです。
二、子どもをおこらせないしつけ
「子どもをおこらせてはいけません・・・・」と冒頭の聖書のことばがありましたが、リビング・バイブルでは「子供をいつもがみがみしかりつけ、小言を並
べ立てて、反抗心を起こさせたり、恨みをいだかせたりしてはいけません。」とわかりやすく訳しています。
いくら、聖書に「両親に従え」とあるし、「父と母を敬え」とあるから、重圧的に、親の都合のよい押しつけ的な「しつけ」では問題だと思います。
ある親は「『たとえ、間違っている』と思っていても、従え!」と言う人もいます。もちろん、子供にも、神によって与えられた「人格」があり、別存在で、親
の付属物ではありません。まさに、「主がお認めになる愛のこもった訓練と助言や忠告を与えて育てなさい。」と(エペソ六章四節)、聖書のことばにきき従っ
て、抵抗のない納得のいく「しつけ」を実践したいものです。
幼児は、説明できないながらも、敏感に感じとる部分、例えば、よいか、悪いか、愛と真実のあるものか否か、不思議とわかるものです。もっと平易に言います
と、「わたしの味方か、それとも、危険な敵か」と言うことを、大人の顔や雰囲気で感じとるセンスをもっているのです。そう言うものは本能的に子供たちに備
えられているものなのです。
そこで、「しつけ」をしていく時に、心に触れる(人格を重んじつつ、)姿勢で、彼らの目線にそって、正しい一本の線(真理)を入れていくことが大切です。
愛とは信頼関係にある時、ここ一番と言う時必要なところは、一歩もゆずらないで、神から託された権威をもって、筋金を入れる「しつけ」は、その子の将来に
希望を与えます。
時には、子供がわがままを言って自己主張する時もありますが、大切な一線は絶対にゆずらず、子供の将来のためにスパンクしてでも従わせることがよいので
す。
|