「ゼロ才から1才までに、人間の体で一番成長するところはどこかというと、脳である。生まれ
たときの脳の重
さは300グラムぐ
らいだが、1才のころには八百数十グラムにも達する。・・・生まれたばかりの赤ちゃんの細胞は、一つ一つがバラバラで、何の働
きもしない。やがて時間が経ち、知恵がついてくるにしたがい、各細胞を結ぶ橋のような突起がふえ、外から入ってくる情報を処理
できるようになる。・・・いわば、”配線工事”が急速に進む時期が、ちょうどゼロ才から三才の時期に担当するし、配線工事の70〜
80%は3才までに出来上がってしまう。」(井深 大 「子育て母育て」から)
あのソニーの創設者の井深 大氏は、ゼロ才から3才までの幼児教育の重要性を述べている。有名な著者は「幼稚園では遅す
ぎる」である。また、彼はクリスチャンで、早くに父親のいない家庭に育ったが、母親がクリスチャンで幼児期から教会に通い、祈り
のある環境に触れて育ったことは大きい。
以前に「家庭礼拝の祝福」を著したが、幼児と共に礼拝のある家庭形成ができる家庭の少ない日本の現実を見る時、せめて、
教会で、それに代わる「祈りのあるゼロ才時から3才児」の保育ができれば、どんなに幸いであろう。
週に一度、半日ぐらいの、母と子が一緒に祈ったり、遊んだり、賛美したり、聖書のお話を聞いたり、リトミックや集団遊びによって
、子どもたちの脳や体はどんなに刺激され、お母さんも情緒が豊かになり、交わりを通して、お母さん方の悩みが消え、落着き、
よい母親像が形成されていくであろう。
特にお母さん方が情報過多の時代の中にありながら、相談する人もいない孤独な子育てをして、ノイローゼになっているお母さん
方も多いと聞く。子どもがかわいそうである。
確かに面倒な働きかもしれないが、今、最も必要としている働きである。ほとんどのお母さん方が、「思い切ったしつけ」一つでき
ないで、悩んでいるとするなら、もう一度、聖書の示す「しつけ」や「子育て法」を見習い、実践する場があってもよいのではないか。
何よりも、お母さん方の心が愛に満たされ、神の光によって、確信ある「子育て」ができれば、こんなにすばらしいことはない。
今、いろいろな人の教育法が本や情報になって、氾濫しているが、数千年の歴史を超えて、人々の心と生活を変えてきた、聖書
の教育法にまさるものhない。
私たちの各地の教会や家庭において、ゼロ才児からイエス様のところへお連れする働きが祈りとビジョンと、喜んで、重荷を負っ
てくださる働き人(ボランティア)によって、二十一世紀を先どりする人格教育をなしているのである。
● ” 子どもたち(幼児)をわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 ”
(ルカ 十八:十六)
|