一、人まかせに出来ないもの
- 祈り -
「人まかせにできないものは何ですか?」その日、幼稚園の母の会に集まった三十人ほどのお母さん方に質問してメモ用紙を配りました。
その結果、無回答十人で、二十人のお母さんが回答してくださいました。その中で、一番多かったのは「しつけ」(八人)でした。
次に「家庭教育」(二人)や、「心の問題」(二人)、その他(八人)でした。
今、多くのお母さん方が、わが子の教育について、「人まかせ」にしていると言っても過言ではないと思います。
幼稚園、学校、塾などに行かせておけば、なんとかなっていくと考えているのではないでしょうか。
子どもたちが帰宅すれば、テレビやゲーム・マンガなどにまかせっぱなし状態です。
おわかりのように、「人まかせにできないもの」は、幼児期の心の教育です。
子どもの柔い心を親や教師が守らなければ、だれが守るのでしょう。
最もよいことは、わが子のために、父親や母親が抱きしめて、共に神に祈ることが出来れば幸いです。(祈れる父母になるように)
私自身子どもの頃、何かにつけて抱きしめて祈られたり頭に手を置いて祈られたことは、その暖かい感触とともに、はっきりと覚えています。
私の尊敬する宣教師(カナダ人)は、青年の私を大きな体格で、がっしりと抱きしめて涙を流して「神の栄光を現わす人」になるように祈ってくれました。それ
は忘れることの出来ない経験です。
成人した大人でも、うれしい、心安らぐ経験であるとするなら、まして、柔らかい心をもった幼児は、なおさらのことです。
きっと神様から愛されていることを実感するでしょう。
二、 共に祈り、学ぶ教育
この幼児教育は、「私たちの子どもを聖書に土台をおいた教育を・・・」と言う、祈りから始まり、何もないところから、すべて手作りして、その都度、困難を
のりこえて、今日まで、三十五年になりますが、必ず、祈れる教師が教育してきました。
時々、能力のある人が幼児教育のスタッフを希望されて来ますが、祈れない教師はお断りしてきました。
多少、欠点があっても、祈れる教師によって、この働きを継続してきました。
大学で、立派な教育学をマスターしてきたとしても、それだけでは、子どもの心に触れる力はありません。
私たちは、どんなに知識や技能をもっていたとしても、そのまま、教育に役立つものではありません。
子どもは、神様からのあずかり者なのです。だから、神様からの愛と恵みによって、神のご計画にそう様に、子どもたちを大切に、正しく導き育てなければなり
ません。
たとえ教師と言えども、「教えてやろう」と言う姿勢では、必ず行き詰ります。
私たちは、謙虚に、恐れ、おののいて、柔らかい心に触れていくべきなのです。
つまり、親も、教師も、神様から知恵と力をいただきながら、その時々の最善を尽くして、共に学んでいくのです。私たちは子どもたちから、何と多くのことを
教えられ、その都度、感動をいただいてきたことでしょう。
幼児教育の場では、子どもたち同志のトラブルや具合が悪い時など、教師は、その都度、手を置いて祈るようにしています。
ある時のこと、園児のご家庭で、お父さんが発熱して、会社に出かれられないで、寝込んでいました。
するとAちゃんは、お父さんの頭に手をおいて、「イエスさま、お父さんは熱が出て、会社にいけません。どうか、お父さんを直して下さい。
お願いします。・・・」と、お祈りしたのです。お父さんは、感動して、思わず涙が流れたそうです。
しかも、その祈りは聞かれ、うそのように、熱が引き、翌日には出社されたそうです。
そのお父さんは、その夏、ご家族で、教会のバイブル・キャンプに参加したほどでした。
あるクリスマス会のオペレッタの発表の時でした。T君は、いよいよ出番が近づいて来た時、教師に、「ボクは、出るのがイヤだ!」と緊張のあまり、出演を拒
否して、ぐずり出したのです。しかも、その役は、セリフのある大切な役でしたので、教師は困りました。
今まで、さんざん練習を重ねて、肝心の時に、発表できないと言うことは、台無しになります。その時、教師は、「じぁ、先生と一緒にお祈りしよう」と、その
子と一緒に「イエスさま力をください!」と、お祈りしました時、T君は「ボクやるよ!」と、立ち上がったのです。
祈りのある教育は心に力を与えるのです。
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